LOGINあの日以来、クラヴァ―ル先輩の姿をほとんど見かけなくなった。
授業の合間や廊下でも、前みたいに偶然出くわすことがない。ここ数日、何かに囚われたように研究を続けているらしい――そんな噂を耳にした。
たまに出くわしても、「すまない、あとで」とだけ言って去ってしまう。(会う頻度が減るのは、私にとってはいいことのはずよ)
そう思いながらも、胸の奥に小さなざわめきが残っていた。
結局私は、また研究棟へ向かっていた。「先輩、差し入れを……甘いものです」
扉の奥で椅子が引かれる音。
少しして顔を上げた彼の頬は、やつれて見えた。「フォーン嬢か……? すまない、今は少し――」
「これ、ローザリア様に頂いたんです。
よかったら、少しは休憩してください」その名を口にした瞬間、空気がわずかに張りつめた。
ペンが机の上を転がり、静かな音が響く。「……そうか。クロイツ令嬢が」
低い声。その奥に、わずかな苛立ちが滲む。
「先輩は、学業も魔法も完璧だと評判です。
それ以上、何を求めていらっしゃるんですか」思わず余計なことを言ってしまう。
でもーー嫌な予感がしてならない。複雑だ。
イベントが起きてほしくないのも、先輩が心配なのも、本当。(分かってる。私が何を言っても、きっと変わらない)
「……完璧、か」
小さく笑った唇が、寂しげに歪む。その笑みが妙に胸に残った。
翌日の午後。 魔術理論の実技授業。 教室は、炉の熱でいつもよりずっと暑かった。「……今日、やけに暑くない?」
隣でローザリア様が小声で言う。「昨日の試験の余熱だろうな」
後ろからクラヴァ―ル先輩の声がした。(よかった、少し顔色が戻ってる……)
「まったく、これでは集中できませんわね」
「クロイツ令嬢、今は実験中です。冷却魔法は――」 「ふふ、大丈夫、魔力の流れは乱しませんわ」その瞬間、空気がひと呼吸止まり――すうっと冷えた。
(……いまの、なに?)
外から声が上がる。
『あっつ!? 噴水が温水になってる!? なんで!?』窓の外では、春の光を受けた噴水が湯気を立てていた。
ローザリア様は扇で口元を隠し、くすりと笑う。「……いまのは闇か? 熱を吸収して……安全なところで放出した……?
可能だ。だが……闇単体をここまで制御できるものなのか……?」低い声。
「……ローザリア様、今の……」
「ふふ。内緒ね?」私たちがこそこそとおしゃべりをしているその横で―― クラヴァ―ル先輩の視線が、ローザリア様にに釘づけになっていた。
「……先輩?」 声をかけても、返事はない。
ただ、目の奥の紫が少しずつ深く沈んでいく。
ローザリア様は気づいていないのか、軽やかに微笑んだまま席に戻る。 その背を見送る彼の横顔には、なにかが崩れ落ちたような色があった。(……整理しよう)
放課後誰もいない教室で、私は窓の外を見ながら考えに耽っていた。ゲームのクラヴァ―ル先輩は、魔道具の実験で魔力を暴走させる。
その場に偶然居合わせた私は、巻き込まれて光を奪われ―― 彼は我に返り、私を助けようと治癒魔法をかける。そのイベントで、私は初めて「光を渡す」ことができるようになる。
……それが、このルートの大イベント。
(先輩ほど魔力のコントロールに長けた人は、そうはいないはずよ。彼の魔力が暴走するほどの実験て、いったい、何なの?)
『今のは闇を使ったのか?』
クラヴァ―ル先輩の声が、頭の中で再生される。
瞬間、ぞくりと背筋が震えた。 (闇……そうか、闇!) 胸の奥で、電流が弾ける。 (そういう事か……! 暴走したのは“闇”だったんだ!) 闇が制御を失って、光を無理やり引き寄せる。 だから私は――力を奪われる。「治癒」じゃない理由がわかった。
ただ、光が闇を中和して、先輩の暴走が、止まる。(……でも……それなら……!!!)
その瞬間、視界の端で研究棟が光った。
(まさか……!! 今日なの!?)
胸の奥で心臓がどくんと鳴る。
私は椅子を蹴るように立ち上がり、走り出した。(イベント回避とかそんな問題じゃない!
私の光がなければ……!!) 闇は――すべてを、飲み込む。 魔法の中心にいる、術師本人までも。……
研究棟の廊下は、すでに異様な気配に包まれていた。
空気が重く、肌の上で魔力の粒子がざらつく。(こんな……魔力の密度、初めて)
奥の扉がひとりでに震え、淡い紫の光が隙間から漏れていた。
爆ぜる音。 次の瞬間、扉ごと押し飛ばされるように風が吹きつける。「クラヴァール先輩!!」
声は届かない。
部屋の中央、床に刻まれた魔法陣の上で、彼が膝をついていた。 魔道具が砕け、黒い靄のようなものが彼の身体を覆っている。(……これが、闇の暴走……!)
彼の周囲の空気がひずみ、光が吸い込まれていく。
風で機器がぶつかり合い、小さな爆発がいくつも起こる。「フォーン嬢、来るな!!」
「だめです!」 走り寄った瞬間、黒い霧が床を這い、足元から絡みついてきた。 それはただの煙ではなく――生きている。(これが、闇……!?)
呻くような音とともに、彼の影が膨張し、私の足首を捕らえる。
次の瞬間、冷たいものが肌を這い上がった。
光を吸い取られていく。 胸の奥で、何かが無理やり引き抜かれていく。(光が……吸われてる!)
胸の奥が焼けるように痛い。
皮膚の下を流れる魔力が、無理やり引き抜かれていく感覚。(ストレステスターの、痛み、と、違う)
「注射と採血のちがいみた……あっ……っ!」
なんとか冷静を装って言葉にしてみたけれど、
痛みで途中から息が詰まる。 視界が白く染まり、意識が遠のいていくのを、必死に引き止めた。ドンッ!
目の端で爆発。火花が飛び、棚が倒れる。
(ちょっと……! 火災まで起きるの!?
魔力暴走以外にも、死亡理由が多すぎじゃない!?)崩れていく部屋。
暴走に飲み込まれ、苦痛に顔を歪めるクラヴァール先輩。(わかってたけど……私、このまま光を吸われ続けるしか、できないの……?)
悔しさと、それをはるかに上回る――焼けつくような痛み。
中庭の時と違って、光が奪われているから、どうやら自己治癒もほとんど効いていない。(あ……意外と、早く気絶、出来ちゃう……かも……)
――闇が、すべてを飲み込もうとしていた。
(いや、まぁクラヴァール先輩の時も、ある意味原因はローザ様だったけどね!) 視線を感じたのか、ローザ様が振り返る。「どうしたの、リリィ。朝から真剣ね?」「ええ、今日は暑くなりそうだなと思って」「えぇ?なぁに、それ?」 できる限りの対策はした。 熱による気絶を少しでも防ぐための護符。 聖女の力は危機的状況でこそ発揮される。 この“ぎりぎり”のバランスを保って、なるべく覚醒の確率を上げるのが今日の目標だ。(絶対、死なない) ノートの端に「午後=確定」と書き込み、線を引いた。 それでようやく、心の準備が整った。 ◇ 午後、訓練場の門が開く。 空気が熱を帯び、焦げた匂いが漂ってくる。 封印の檻の向こうで、赤い鱗がわずかに光った。 これが――火竜。 封印されて動けないけれど、その内側で燃え続ける魔力炉のような存在だという。(ローザ様の“圧”みたいなものね。 抑えているのに、どうしても漏れ出してしまう感じ) 訓練場全体が張りつめていた。 中央の大きな封印陣の中で、火竜が鎖に繋がれたまま低く息を吐く。 そのたびに結界面が揺れ、空気がかすかに焦げる。「封印下とはいえ、竜の魔力は圧倒的だ。 呼吸ひとつで“圧”が変わる。 その揺れの中で防御を維持できるか―― それを確かめるのが本日の訓練だ」 講師の声が響き、生徒たちは順に前へ進んだ。(……やっぱり……“火竜暴走イベント”だわ) 竜を抑えている魔法陣が崩れ、火竜が暴れだす―― “原因”はローザリア・フォン・クロイツ。 ゲームでは、”彼女が封印の魔法陣に細工をした”とイベントの後に明らかになる。 それは、彼女が断罪される際の罪の一つだ。 もちろん、現実の彼女がそんなことをするとは思っていない。 思ってはいないけれど――イベントは、起こる。 何かが起きるのなら、そばで確かめないと。 私は彼女の一歩うしろに立ち、慎重に呼吸を合わせた。 この訓練の理屈は単純だ。 火竜の“圧”に耐えられる者だけが、前へ進める。 私は薄く防御膜を張り、息を整えた。 前列の生徒たちは数歩進んだだけで膝をつき、次々と下がっていく。(ここからが本番ね) ローザ様が歩を進める。 波のように強まる圧に合わせて、膜の形をわずかに揺らして受け流すその動きは、まるで圧の向きが“見えている”かの
それから数日、私は時間を見つけては、光の結界を試すようになった。 朝の訓練棟の裏手は空気が澄んでいて好きだ。 まだ誰もいない時間。 今日も何とか感覚を掴もうと、一人練習にいそしんでいる。 ……とはいっても、全く何の手がかりもないから、結局は防御膜の訓練になってしまっているけれど。 わかっている。 たぶん、イベント以外で結界を作れるようになることは、ない。 それでも、何かしていないと落ち着かないのだ。 せめて気持ちだけでも整えようと、静かな空間で魔力をゆっくり巡らせていた—— ……はずだった。「またここか」 背後から声がして、思わず肩が跳ねる。 振り返らなくても分かる。少しだけ高めの声。「ライ……アルデン先輩」「聖女殿は朝から防御訓練か」「はい。……ちょっと感覚を確かめておきたくて」「お前、もう十分すぎるほどだろ。何を目指してんだ」 以前よりずいぶん砕けた口調。 その飾り気のない問いに、一瞬、言葉が詰まった。(な、何を目指してって…… 生存……?)「……いえ、まだまだ改善の余地があると思っているだけです」「真面目だな」 そう言いなが
訓練後、選抜の発表があった。 もちろん、私は選ばれていた。ローザ様も一緒に。(……まぁ、そうよね。嬉しいような、怖いような) 今回の訓練は、魔導理学科との合同演習。 いかなる外圧下でも防御膜を維持するための、実践的な応用訓練だ。 これが“あのイベント”につながるという確証はまだないけれど、 そのつもりで動かないと、命に関わる。 ゲームでは、火竜が暴走する中、私が必死に結界を張って耐えていると―― もう駄目だ、というそのときに、ライナーが現れて火竜を鎮圧するという流れだった。 彼はもしかしたら、演習の補助として駆り出されていたのかもしれない。 あるいは、騒ぎを聞きつけて駆けつけた、という展開も考えられる。(……いずれにせよ、今回は私が“死なない”ように動かなくちゃ) 私は図書館にこもり、火竜に関する記録をあさり始めた。(気性は荒く、怒りに任せて我を忘れ、主以外のすべてを焼き尽くす―― そんな恐ろしいもの、なんで授業に使うのよ)(え、ちょっと待って。熱風だけで屍の山って……!?)(自分より強いと認めた相手を“主”とする、か。 ……ゲーム内で火竜を鎮めたライナーは、まさか火竜に“主”と認められた?)(ともかく、問題は“気絶”よ。結界を張る前に意識を失ったら即アウト) 私は神殿で学ん
あのあと私たちは、露店を覗いて、クレープを半分こして、流行りのお菓子を買って……ときおり、まるで本物の姉妹みたいに手をつないで歩いた。それがなんだか嬉しくて、気付けばもう夕方。まずい、寮の門限!と焦った私に、ローザ様はさらりと微笑んで言った。「ふふ、今日は我が家に泊まるのよ。学園の寮には、もう連絡してあるわ」そうして、両手いっぱいの戦利品を抱えて公爵家に戻ったのだった。「そういえば、ローザ様とジュリアン殿下って、幼馴染なんですよね」ふわふわのネグリジェに身を包み、ローザ様の広いベッドに横になりながら、ふと思いついて尋ねてみる。「あら、殿下から聞いたの?」「はい。以前、ローザ様が呼びに来てくださったときに」「ふふ、そうね。年も近いし、“ご学友”ってところかしら。 気づいたときには、よく王城で一緒に遊んでいたわ。 ……まぁ、婚約者候補の素行を見極める狙いもあったんでしょうけど」「婚約者候補……」その言葉に、私はどきりとした。「その……ローザ様は、王太子妃になりたいと、思っていらっしゃるんですか?」我ながらおかしな質問だった。けれどローザ様は、長いまつげをゆっくり瞬かせて、小さく首を傾げる。「そうねぇ……そこに私と殿下の意志が関係あるのかどうかを考えたことはあるけれど……実際にどうしたいのかは、あまり考えてこなかったわね」「ローザ様……」「ふふ、あなたも同じでしょ、聖女様?」「いえ。私は神殿のイベントも、学園行きも、できる限りのことをして拒みましたよ。無駄でしたけど」「ええ!? 本当に? やだ、リリィってば、真面目かと思ったら、意外とじゃじゃ馬だったのね」「……その言い方。ローザ様も、意外と破天荒ですよね」「うふふっ。そう言ってもらえて嬉しいわ」「嬉しいんですか?」「ええ。両親以外に、初めて言われたもの」「……殿下には言われたこと、ないんですか?」「あ、あったかもしれないわね。小さい頃は、今より自由に接していたし」「……殿下の片思い、か……」「ん? どうしたの、リリィ?」(……殿下は、私になんて見向きもしなかった。 ここからどうしたら、私とローザ様が“恋のライバル”になるっていうのよ?)ゲームでは、まずすべての攻略対象との個別イベントをこなしたあと、全員が私に好意を抱いた状態で“全員合同イベント”が発生する。
柔らかい光が、まぶた越しに差し込んでいた。 光がまぶたの裏でゆらめき、意識がゆっくり浮かび上がる。 香りの記憶が先に戻ってくる――花と紅茶と、ほんの少しの魔力の気配。(……あれ? 神殿じゃ、ない?) 目を開けると、見覚えのない天蓋とレースのカーテン。 クロイツ公爵家の紋章入りのカップが、すぐそばのテーブルで湯気を立てていた。「やっと起きたのね、リリィ」 ソファに腰かけていたローザリア様が、ほっと息をつく。 いつもの制服ではなく、家用のゆったりした服。 淡い金糸の刺繍が光を受けてやわらかく輝き、 それだけで、ここが“学園の外”だと実感する。「……ローザ様、私……?」「神殿の司祭たち、慌ててたわよ。あなた、結界用護符を十五個も作ったんですって?」「……十六個目で気絶しました」「ふふ、そうでしょうね。見学に来ていた修道院の子供たち、聖女様の献身に感動していたわ」 ローザリア様は微笑んで、カップを持ち上げた。 紅茶の表面に光の粒が揺れ、室内に淡い金の反射を散らす。 ……どうやら、ゲーム通り、ちゃんと名誉ポイントが上がっているらしい。 嬉しいような、嬉しくないような。(そういえば……ローザ様ってあんなに魔法を扱えるのに、結界は張らないのかしら。 この間も防御膜を応用していたわ。結界用護符が高級品とは言え、公爵家ならいくらでも用意しそうだけど) 思い
朝の学園は、どこか落ち着かない空気に包まれていた。昨日の騒ぎのせいで、授業は午前中だけ。廊下のあちこちには修復班の上級生がいて、焦げた壁やひび割れた床に魔法をかけている。廊下を歩けば、どこからともなく噂話が耳に入ってくる。「聖女の光が暴走を鎮めた」とか、「クロイツ公爵令嬢が身を挺して守った」とか。(合ってる……合ってるんだけど、なんか違う……!)パンとスープだけの朝食を済ませ、中庭へ抜ける。外はすっかり晴れていて、昨日の熱気が嘘のようだった。でも、石畳の隙間に残る黒い焦げ跡だけが、あれが現実だったと教えてくれる。「おはようございます、ローザリア様」中庭の中央で、風の流れを操りながら落ち葉と煤をまとめている後ろ姿。珍しく後ろで編みこんでいるのは、髪の毛が焦げてしまったからだろう。それでも鮮やかな金髪は光を集めて、まるで何事もなかったみたいに美しい。焼け焦げていたはずの制服は、新品に取り換えられていた。……さすが、公爵令嬢。私はというと……うん。ちょっと黒ずんでるけど大丈夫。すぐにパトロンである王家から新しい制服が支給されるはずだ。「おはよう、リリエル。今日は授業が短縮されたの、ご存知?」「はい。先生方、徹夜で対応されてるみたいですね」「ええ。おかげで魔導学科の講義が二つ飛んだそうよ。 研究棟の修復は時間がかかるでしょうね」ローザリア様の声はいつも通り穏やかで、でも、指先の動きは昨日より少し早い。ガシャンガシャンと、魔力で浮かせた瓦礫を一か所に放り込んでいく様子は、どこか無言の苛立ちを含んでいるように見えた。(……怒ってるのかな。怒るよね、そりゃ)私は迷った末に口を開く。「クラヴァール先輩は……その、どうしてるんでしょう」「まだ眠ってるわ。命に別状はないそうだけれど、魔力の回復には時間がかかるでしょうね」「そう、ですか」風が止まり、沈黙が落ちる。ローザリア様は、きらりと光るガラスの破片を手に取る。「彼、目を覚ましたらきっとすぐに研究に戻るわよ」「……そんな気がします」「止めても聞かないでしょうね」(確かに……それに、落ち込んでいないか心配だわ)そう思うと、なんだか少しだけ心がざわついた。「お見舞い、行ってもいいでしょうか」「もちろん。行くならこれを持っていって」「ローザリア様は?」







